2009/04/07

親父とのことを思い出す・1

二十歳になる少し前、
親父が僕に、初めてのスーツを作ってくれた。
青山ツインタワーにあるテーラーだった。
親父の行きつけの店らしい。
僕はそれまでそんな店には行った事もなく、ちゃんとしたスーツすら着た事もなかった。
だが自分専用の服を仕立ててもらう。という事に興奮した僕は、前の日から色んな雑誌やレコードジャケット等を見ながらイメージを膨らませていた。

当日、僕は親父と一緒に青山に行き、そのテーラーに行ってみると大変な数の生地や柄が反物の状態で並んでいて、目移りするわ迷ってしまうわで、まったく選ぶどころの騒ぎでは無かった。
親父がお店の人に、初めてのスーツを作るんだと説明してくれて、僕と職人さんとで話をしながら、膨大な生地の中から少しずつ選択範囲が絞られてきた。
いろんな生地を肩から乗せて鏡の前で合わせて見る。
横から親父がチンピラみたいだとか、チンドン屋みたいだとか茶々を入れる。
もちろん僕はそんな生地を選んでいるつもりは無い。
だんだん面倒臭くなってきた。
スーツを作るだけで、自分で決めなければならない事が、こんなにあるのか!
そして一度選んだら取り返しがつかない。
そう思うと真剣にならざるを得ない。

散々迷った挙げ句に、
僕は少し光沢のあるベージュの生地と、薄いブルーのストライプ生地を選んだ。
どちらにするか悩んでいると親父はニタニタ笑いながら「両方作れ」と言った。
「いや、悪いからいいよ」と遠慮して見せたが、内心「しめた!」と、心躍っていた。
調子に乗った僕は職人さんとデザインについてあれこれ話を進め、全体的に細身のスタイルで、ジャケットは2つボタンでVゾーンが広め、パンツはフラットなノータックで仕立ててもらう事にした。
大体のイメージを伝えると、職人さんは僕の身体を採寸し「お父さんと違って大きいね」と言った。
親父は筋肉隆々なのだが小柄で、裸になると車に弾かれた蛙みたいな体型をしている。

次は仮縫いが出来たら連絡するので、一週間後ぐらいにもう一度来て。
と言われ、店を出た。
帰り道に親父に「ありがとう」と言うと、親父は照れ臭そうに「出来上がってからでいいよ」と言った。

一週間後、今度は一人でテーラーに行き、仮縫いされたスーツに袖を通してみた。
なんとも言えない感動があった。
胸まわりが少し窮屈に感じたのと、袖が少し短い気がしたので職人さんに伝えた。
また、ボタンホールのステッチだとか、ボタンの色だとか、また細かいやりとりがあって、次は仕立て上がるのが一週間から十日後だと言われ、ワクワクしながら家に帰った。

何日か過ぎて、親父のところに出来上がったという連絡があったと言われ、その週末に一緒にテーラーに行った。

初めてのスーツは、身体にピッタリで、鏡に映った自分がいつもより少しイイ男に見えた。
仕上がったスーツのイメージは、Bobby BrownのDon't be Cruelのレコードジャケットを思い出して欲しい。
全世界で1000万枚以上売り上げたアルバムだ。
そう、あんなスーツが欲しかったのだ。

親父は「なかなか良いじゃない」と、またニタニタ笑っていた。
ブルーの生地も同じ形で仕立ててもらったのだが、生地が違うので着心地も少し違っていた。
へぇそんなものなんだ?と思った。

スーツを受け取り、帰りに原宿の「あずま」という鉄板焼きの店に連れていってもらった。
この店は会社の接待とかで、たまに来る店なんだと。
下戸の親父はビールを2つ注文し、一緒に飲んだ。
僕もビールは嫌いだったのだが、一緒に飲んだ。
料理が始められ、
目の前で作られる料理と、料理人の見事な手捌きに関心しながら大きな鉄板をずっと見ていた。
この店のコース料理に出てくる「ホタテのウニソース」という一品があるのだが、この世のモノとは思えない美味さだった。

少し酔っぱらった親父は、シェフに「息子なんですよ」と2回も3回も言っていた。
適当なタイミングで僕は親父に「ありがとう」と言った。
親父は僕に「けっこう似合ってたぞ」とニタニタしながら言った。

ちょこちょこ出て来る料理を食べながら少しだけ親父と話をした。
「おまえ、これからどうすんだ?」と、
「音楽で食っていきたいと思っている」と、
「ふーん、なんでもいいから好きなことやれよ」と、
「うんわかった、好きなことだから頑張るよ」と、
「俺は分からんけど、好きなことならやってみな」と、
僕は再び「ありがとう」と言った。
まだ音楽で食って行く自信も無かった頃だった。

親父がお膳立てしてくれた、スーツを作るというイベントで、いろんな事を学んだ。
原宿の「あずま」という店には、今でも通っている。
いまでも当時と同じコース料理を出している。
僕にとってはかけがえのない思い出の店だ。

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