2006/04/22

あの頃のぼくの話5

■ハイスクール・ライフ■

 どうでもいいような私立高校二年生の、春になりかけようとしている時に、僕は退学になった。
理由は自慢出来るような話でもないので書かないが、悪ふざけばかりしていたツケ、とでも言っておこう。
とりあえず高校は卒業しておきたかったので、すぐに都立高校の編入試験を受ける事にした。そもそも僕は芸大に行くつもりでいたので、高校に行きながら夜は美大予備校に通い、来る日も来る日もデッサンの勉強をしている勤勉学生だったのだ。
しかし、高校入試を二度も受ける事になった事と、アホみたいにデッサンを描き続ける毎日への疑問が重なり、なんだかどうでもよくなってしまった。
二度目に通う事になった都立高校は、まぁハッキリ言って最低の高校だった。同級生にヒゲを生やしてマークⅡに乗って登校してくるパンチパーマで二十三才の先輩は居るし、女子生徒は全員がスカートの何処かにカミソリでも仕込んでいそうな装いで近寄り難い。
ヤンキー共の他は、今で言うオタクみたいな連中と、体力バカみたいな連中で見事にグルーピングされていた。
とにかく、オバマが生徒会長だったら、すぐにでもChange!と言いたくなるような学校だったのだ。
 そんな学校でも、今思えば素晴らしい環境にあったと思う。
学校の裏は多摩川の上流にあたる美しい川が流れていて、川に生息する魚達は人間を怖がらず、裸足で川に入れば近寄って足を突いてくる。
駅から学校へ続く道には狸が出没し、畑を荒らしたりするらしい。
学校の向かいには変な定食屋があって、腹が減れば店の婆さんが何か食わしてくれる。
保健体育の先生は若くて美人で新米という、男子高校生の妄想を全て満たす絵に描いたような教師だった。

僕は通学する電車で、よく居眠りをした。
本来僕が降りるべき駅を降りそびれると、そこから先は単線になり、万が一終点まで行ってしまったら無人駅で次の電車が来るまでの小一時間、改札から追い出されてしまう。どんなに頑張って戻ったとしても、四時限目が始まる頃になってしまう。そんな時は潔くあきらめて、山奥の駅で蕎麦か饅頭でも食べて山を散策していた。
帰りの電車でもしょっちゅう居眠りをした。
日頃から悪ふざけばかりしていた僕は、一度でいいから網棚の上で寝てみたいという衝動に駆られた。
始発駅から乗車し実際に寝てみると、その狭さが意外と心地よい。
あまりの居心地の良さにいつの間にやら本気で寝てしまった。
ふと目が覚めると、電車は東京駅に着き折り返していた。
既に満員状態の車内の網棚で目覚めた僕は身動きも出来ず、乗客の冷たい視線をただ受け止め、寝たふりを続けるしかなかった。
降りる事が出来たのは、再び終点に到着した時だった。

というような高校時代だったのだが、そんな生活を続けるうちに、いつの間にか絵を描く情熱よりもバンド活動の方に気を取られるようになっていた。

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